先日少しふれた「ソフトバンク・孫正義の仕事術」の続き。防備録程度に書きとめておく。

■以下、印象に残ったところの要約 ──────────

孫正義氏は、19歳の時に50年計画を立てた。それは「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低1000億円貯め、40代でひと勝負かける。50代で完成させ、60代で継承させる」というものだった。

久留米附設高校1年時の夏休みに研修旅行で米国に行き、その自由な風土に憧れて、翌2月に再び渡米。久留米附設高校は一年で中退し、その年の9月に現地の高校に2年生として入学。サンフランシスコの高校に入学するのだが、「英語力を除けば、ここで教えていることはすべて理解している」と学校側と交渉。アメリカの高校には飛び級があるのを利用して、わずか2週間で高校を卒業し、ジュニアカレッジを経て、カリフォルニア大学バークレー校に入学している。日本からやってきたばかりのまだ言葉をうまく話せない少年の、“この高校で教えることはすべて分かっている”という啖呵の切り方。この自己主張交渉スタイルこそ、孫氏ののちの事業スタイルの原型だ。

バークレー時代は、「アルバイトでは何年かけても事業資金は貯まらない。発明で儲けるしかない」と、毎日発明を1つ考えることを1年間続けた。孫氏は1つの発明のための時間を1日5分以内と決め、その間にアイデアが出なかったらその日はダメと諦めた。最初の1、2カ月はどんどんアイデアが出てきたが、そのうちにネタ切れしてしまった。そこで発想を変えて、「発明する仕組み」を発明しようと考えた。金の卵を採るよりも金の卵を産むニワトリを作ろうという発想法だ。そこで考えたのが「発明はどんなプロセスでできるのか」ということ。結論的には3つのパターンしかないと考えた。「問題解決法」「水平思考」「組み合わせ法」の3つだ。この方法によって1年間に250コのアイデアを作った。その1つが「音声装置付き多国語翻訳機」で、この特許をシャープに一億円で契約し、事業資金を得た。その時、孫氏はまだ19歳だった。

帰国後一年半ほどを費やして市場調査をし、一生懸命にビジネスプランを考えた。まったく新しい切り口で、今まで人がやっていないやり方でできる事業が40案ほど。そのアイデアに対して、25の意思決定要因を掲げた。それぞれに点数をつけて、最も点数が高かったのが、現在のソフトバンクの事業だ。その意思決定要因とは「少なくとも日本で一番になれるか」「収益がちゃんとあがるか」「時代の流れにそっているか」に加えて「50年間飽きずにその仕事に全知全能を注いで継続してより深い興味を持ち続けられるか」という項目もあった。

孫氏の戦略の立て方は信長に似ている。信長は、尾張の国から一直線に京の都へ引いた線に沿って、そこだけを攻めて、陣地を拡大していった。それ以外の方角とは同盟を結んでできるだけ戦わないようにしているこれに対して武田信玄は、甲斐の国の周囲360度へ常に戦いをしかけている。つまり、自分の領地をいかに守るか、自分の陣地をいかに少しずつ拡げるかということに終始していたように思える。

ここまで要約 ───────────────

孫氏レベルの人間の思考法というのは、次元の異なるものだというのがよく分かった。その思考法をそっくりそのまま真似できなくとも、その中からほんの少し身に付けるだけでも、ずいぶん違ってくるように思う。

この本は96年に発行されたものだが、非常に内容が濃く、読み応えがあった。